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浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり ・ 深川木場の橋

◆江戸時代の初期、江戸での材木の需要は盛んで、これらは日本橋材木町、南茅場町、木挽町などに店を構えた材木商により供給された。
◆しかし大火の際、延焼の原因になるために幕府は隅田川対岸の永代島(佐賀町付近)に材木置場(貯木場)を集中させることにした。
◆ここが木場(後に元木場)称され、地名の由来となった。
◆元禄14年(1701)、幕府は市街地の拡大、材木需要の増大により、木場を更に東に移転させた。
◆そして9万坪といわれた大きな敷地を持つ深川木場が生まれた。
◆そこには材木の運搬や貯蔵のために網の目のように入り組んだ運河や掘割があり、橋も数多く架けられた。
◆名前が判明している橋の直接の描写は見つからなかったが、小さな橋でもすべて橋名があった。
◆これらについては、下部にある「木場公園に埋れた橋」を参照のこと。
◆深川木場は昭和30年代の江東開発構想により完全に埋め立てられ、現在は都立木場公園となっている。
◆木場は南部の埋立地に移転し、新木場と称されている。

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=== 浮世絵 ===

=== 図会 ===


=== 橋の痕跡や現在の橋の様子 ===

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