浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり ・ 不忍池の橋
◆上野寛永寺の開祖・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て竹生島になぞらえて、弁天島(中ノ島)を築かせた。(寛永年間 1624-44) ここに弁天堂を創設し、弁財天を祀った。
◆当初は橋がなく舟で参拝が行われていたが、不便なので寛文年間(1661-72)に陸道が造られ、そこに橋が架けられ参詣路となった。橋本体部分は短く、土橋と云える陸道部分がかなり長かった。
◆橋は「天龍橋」と名付けられ、現在も石橋として残っている。
◆弁天堂は多くの参詣客や観光客が訪れる名所となり、多数の浮世絵が描かれて残っている。
◆現在はなくなったが、明治時代には弁天堂のある中之島から反対岸(西側)に「観月橋」と名付けられた橋が架かっていた。
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=== 地図 ===
=== 浮世絵 ===
=== (明治時代の橋) ===
=== 図会 ===
=== 橋の痕跡など現在の橋の様子 ===