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浮世絵と図会+による江戸の橋めぐり ・ 木母寺内の橋

◆木母寺は平安時代中期の貞元2年(977)天台宗の僧忠円が伝説的な梅若丸の供養のためにて建てた念仏堂が起源で、当初は梅若寺と名付けられた。
◆江戸時代、慶長12年(1607)前関白近衛信尹が参拝したときに木母寺と改名された。
◆寛永年間に当時の境内に隅田川御殿が建てられ将軍や貴人が来訪し、また庶民も伝説的な梅若の物語に惹かれて訪れるようになった。
◆木母寺は水面に囲まれ北西側に橋が架かっており、いろいろ描かれているが、橋名は不明である。
◆昭和50年代に防災拠点建設事業のために、木母寺は約200m西側の隅田川近くの現在位置(墨田区堤通二丁目)に移された。

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=== 浮世絵 ===

=== 図会 ===