第116景 「高田姿見のはし俤の橋砂利場」
(安政四年(1857)正月 冬の部)
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  現在の「面影橋」が、広重の絵でも弓なりの太鼓橋で立派だったことがうかがえる。
  橋(姿見のはし)を渡って少し北へ行くと、小さな小川に架かった橋(俤の橋)に至る。 橋を渡って左側に氷川神社(画面中央の右寄り、帯状の赤い雲の下の杉木立の中)があり、 その向かい、木に囲まれて別当寺である大鏡山南蔵院という寺が建っていた。その昔この 寺の前に「鏡が池」という池があったので、この寺の山号になったという。また、この地 に姿見、俤などという橋の名前があるのも、この池からうまれたのであろうとされている。 橋を渡って北へ向かう道は昔の鎌倉街道で、今も宿坂通りと名前の残る宿坂を登ると、鬼 子母神のある雑司ヶ谷の台地に出る。奥の霞たなびく丘陵は雑司ヶ谷の台地である。
  この橋の辺りを「山吹の里」といい太田道灌の伝説の里である。北側一帯は昔、砂利が とれたので「砂利場村」と称した。蛍の名所であり、他ではみられない大きな蛍が飛び交 っていて、老若男女籠を持って集まり、団扇で蛍を追い回したという。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による