第109景 「南品川鮫洲海岸」
(安政四年(1857)二月 冬の部)
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  さて、絵の場所を今の地図でさがすと、京浜運河から鮫洲のほうへ直角に引き込まれた 水路がある。鮫洲橋の西で南下して、なぎさ会館(しながわ区民公園の北端)で行き止ま る全長1km足らずの運河だ。このなぎさ会館のあたりから運河越しに北を見上げる光景が、 廣重の絵の舞台である。
  埋立地や倉庫群、公園や競馬場のすき間にぽつんと「埋め立てもれ」のように取り残さ れた地に、まさに廣重の描いた通りの景色が奇跡のように残る。
  絵の左には東海道沿いの町並みがかかれ、今も旧東海道が走る。奥にある森は海曼寺で、 今も青物横丁駅の南西、国道沿いに栄える名刹である。筑波山もほぼこの位置であろう。 海上にたちならぶ海苔のヒビ(粗朶(ソダ))だけが、今はない。
  なぎさ会館の横へ流れ込む川は、立会(タチアイ)川である。ここからは見えないが、旧東海 道にかかる立会川の橋は浜川橋、またの名を涙橋という。その500m南にある鈴ケ森刑場に 護送される罪人が、ここで親族らと涙を流して別れたところという。そういえば、千住小 塚原の手前にも、泪橋交差点があった。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による