第98景 「両国花火」
(安政五年(1858)八月 秋の部)
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  柳橋方面から両国橋を隔てて左岸下流を描く。夜目にも御船蔵の屋根の並びが分かる。 花火の下の両国橋上は大群衆ではなくほどほどの通行人が描かれているところから、ヘンリー・ スミス教授は川開きのようなイベントではないと断じている。ただし川開き5月28目から川 じまい8月28日の間には間違いない。打上がった花火は「りゅうせい」で、開いた花火は 「ぼか物の雨」。それまで花火の原料は塩硝・木炭・硫黄のみで化学薬品はなく、そのため 赤色花火だけだったが、この絵は安政年間から白色光輝剤の鉄が使われ出した証拠となる。
  中央の大きな船は屋形船で全長15m、内部は20畳ほどの広さがある。舳先に行灯を灯し ているのが煮売り船で4隻を数える。最も小型は猪牙(チョキ)舟。屋根船が数艘あるが、屋根 船には納涼客の舟だけでなく、納涼客に向けて新内、義太夫、影絵などを演じる舟があっ て流して回った。町で門付する芸人を「流し」と呼ぶのはこれに由来する。
  広重遺作の一つ江戸名所「両国納涼」は料亭内からの跳望を描いているが、ほぼ同一の視 点である。つまり柳橋・万八楼の座敷から眺めた図と考えられる。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による