第82景 「月の岬」
(安政四年(1857)八月 秋の部)
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  「月の岬」とは、聖坂上の三田台地の月見に好適な場所を指し、済海寺あたりといわれ ている。広重は『絵本江戸土産』の中で「月の岬」を描いて、「この所北は山、東南は海面 にて、万里の波濤眸をさへぎる。実にや中秋の月この所の眺めを第一とす。月の岬の名も 空しからず」と説明し、浜に迫る台地に「八ッ山(谷ッ山)」と書き込んでいる。しかし、 『江戸繁昌記』には品川の北には小さな茶屋と八ッ山茶屋があったと記しているだけで、 豪華な料理屋があったとは書いていない。したがって、品川の名高い妓楼「土蔵相模」を ここへ借りてきて設定したと考えられる。
  安政4年(1857)7月の二十六夜待ちは、夜に入って大雨が降り、月を待つ人々は天候の急 変に楽しみが流れてしまったことで、遠景に描かれている月こそが、広重の関心の対象と なっている。
  軒に8月15日の満月(仲秋の名月)がかかり、部屋の状況から月見の宴は一段落したよ うである。終わった宴を描くことで流れた二十六夜待ちの宴のことを「あとの祭り」とし て示唆している。狂歌本『狂歌江都名所図会』の品川の挿絵の舞台が、小道具までそっく りで、こちらは宴の最中が描かれている。
  室内にはたばこ盆、行灯、杯洗、刺身が盛られた皿、三味線、三味線箱などと芸妓の後 ろ姿、廊下には徳利、箸など細かく描かれている。左手障子に映っている女は髪に挿され ている5本の簪から遊女と見ることができる。当時の遊女は3本・5本・7本と奇数の簪 を挿す習慣があった。
  遠方の海上には弁才船の帆柱が林立している。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による