第76景 「京橋竹がし」
(安政四年(1858.1)十二月 秋の部)
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  手前が京橋。もちろん擬宝珠がつく。西から下流(東)を望んだ構図で、左手の竹河岸 にはびっしりと竹が並び立つ。誇張がすぎるが、「竪絵ではこうした構成でないと、竹河岸 が生きてこなかったのであろう」と宮尾しげをは弁護する。紺と茶、2系統だけの配色は、 見とれるほど美しい。
  宮尾は「橋の上は相州大山参りの者が土産の梵天をかついで渡っていく。…初夏の月が それを迎えている」と説明する。この宮尾説を受けてヘンリー・スミスはこの情景の日付を「七月 の満月の日」とし、高橋誠一郎(共同通信社、1971)が書いた「師走の寒空」「ついそこに きている春の喜び」云々を批判する。じじつ、版元の作った「目録」では「秋の部」に入 っており、それを信ずる限り「春の喜び」になるはずがない。
  小さい本ではよく見えないが、中央の人物が持つ赤い提灯には「彫竹」とある。これは 版画の陰の立役者、彫師の横川彫竹(ホリタケ)の名をそっと忍ばせた由(ヘンリー・スミス)。竹河岸の 絵にふさわしい。スミスの本より1年前に出た堀晃明「広重名所江戸百景」(東海銀行国際 財団1991)には「提灯には竹の字が見えるので、近くの竹問屋の人と見受けられる」と あり、着眼点はよいが、スミス説を知ると色あせる。
  京橋の下に、竹籠か竹細工を積んだ舟(「荷足舟(ニタリブネ)」という)が下流へくだる。竹 河岸付近には竹の筏がならぶ。奥にかかる橋は、切絵図にある「中ノ橋」(三年橋・住屋橋 ともいうが、現在痕跡なし)。さらにその先にかすかに見えるのが「白魚橋」(佃島の網役 の屋敷が近くにあった)で、前述のとおり高速道路下の白魚橋駐車場」に、かろうじて 名が残る。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による