第75景 「神田紺屋町」
(安政四年(1857)十一月 秋の部)
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  「江戸東京職業図典」(槌田満文編、東京堂出版2003)に収録された山本松谷・画「東 神田染物師の物干場に高く手拭染めを晒すの図」(明治33年1900)には一階の屋根上に高 い足場を組んで三階相当部分の高さに大量の布を干す様子が描かれている。従って、物干 しの木組は二階の屋根より逢かに高い位置にあるといえる。
  晒された手拭布地には出版元魚栄の魚の字が見える。魚栄の手拭布地の奥に菱形模様の 手拭布地が見えるが、これは片仮名の「ヒ」と「口」を組み合わせた広重自身の印である。 このマークは数種類の東海道五十三次シリーズにも繰返し現れ、もっとも有名な保永堂版では、 「原」の従者の衣装、「鳴海」では有松絞りの店ののれんなどがその例である。
  布地には布目摺りが施されている。
  この絵のような風景は、昭和の末期まで見られたようである。「北斎と広重5江戸百景」 (講談社1971)には江戸時代そのままの紺屋の干し物台の写真が掲載されている。現在は 繊維関係の企業はあるものの干し物台は一個所もない。 --------------------------------
「東京シティガイド江戸百景グループ」による