第53景 「増上寺塔赤羽根」
(安政四年(1857)一月 夏の部)
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  奥から手前に流れるのは古川。赤羽橋が架かる。古川の左側の築地塀は増上寺の警備担 当であった久留米藩有馬中務大輔の上屋敷である。左奥に増上寺の防火のため江戸で最も 高いと云われた火の見櫓が見える。火の見櫓の右に幟が6本立っているのは水天宮である。
  久留米藩は寛文8年(1668)に三代藩主頼利が増上寺の火の御番を命じられて以来、幕末ま でその任にあり、地元の久留米も火災予防に熱心な風土になった。久留米の火消しは有馬 火消しとしてその名が高く、現在でも久留米市消防団は全国大会で優勝するほどである。
  また、広重は定火消の役人(旗本)の出身で、文化6年(1809)から文政6年(1823)まで火消 同心として、勤務していた。
  安政2年(1855)の江戸大地震で徳川将軍家の墓所(御霊屋)が被害を被った際に、有馬家は その修復を幕府から命じられている。そして安政3年(1856)12月に完成した。
  「名所江戸百景」発行の動機の内に、安政江戸地震の復旧状況を国内に広めたいとの広 重の願望があったとの説があるが、映像研究家で翻訳家の原信田実はこの作品について「増 上寺の五重塔を前景に、山内の御霊屋の修復を担当した有馬家の屋敷を後景に首尾よく配 置した絵」と言っている。近景は増上寺五重塔の上部がクローズアップされている。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による