第46景 「鎧の渡し小網町」
(安政四年(1857)十月 夏の部)
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  広重は小網町の鎧河岸に立ち並ぶ蔵の列を遠近法で表現し、船を狭い場所に何艘も 描き込むことで輻湊する水運を表している。
  この1枚の中に5種類の船が登場する。手前では猪牙船が速度を上げている状況が 藍色の航跡で表現され、左からの渡し船には日よげの傘を差した3人の女性と編み 笠の男たちが乗っている。傘を横にしている女は波しぶきを避げようとしているのか、 下船の準備をしているのか。
  右手には茶箱を積んだ荷足船がいる。ただし、この船荷は灘の銘酒「正宗」である という説もある。左側に舳先だけ見えている船は五大力船であろうという。五大力 船は通称木更津船とも呼ばれ、都市史研究家の鈴木理生によれば、四斗俵500俵積みの 120〜130石船で非常に多数の往来があったという。江戸橋上流右岸の木更津河岸から出発し、 小名木川に向かう船の舳先を描いたのであろうか。鎧河岸の蔵の下にも荷を積んだ船が見える。
  右の茅場河岸に立つ若い女は船を待っているのか、あるいは眺めているだけなのか。 女は傘を差しており、船中にも傘が見える。近くの小網町の荒布橋と堀江町の親父橋の 間は「照降町」といい、傘と下駄を扱う問屋が多かったことを広重は暗示しているのだろうか。
  背景の倉庫群は画一的に表現されているが、「大江戸八百八町展」図録所載の日本橋 河岸明治初年の写真を見ると、蔵の2階部分には小窓があるものが多く、また1階部分が 2階より張り出しているのが殆どである。荷上げ用の桟橋も多く、荷物を取り入れる口も 作られている。写実的に描くと絵にならないと広重が考えたのかどうか不明だが、 のっぺりとした白壁が印象的であることも事実である。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による