第42景 「玉川堤の花」
(安政三年(1856)二月 春の部)
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  「重ね地図」を参照すると絵の左手の武家屋敷、玉川上水に架かる小橋などから内藤新宿下町と 内藤新宿仲町の境と判定できる。従って描画地点は新宿御苑旧新宿門の信号と考えられる。
  広重の絵では、玉川上水を挟んで右に内藤新宿の妓楼・茶屋・旅籠屋などの家々が、左側には 内藤屋敷の西にあった武家屋敷が描かれている。その間を流れていた玉川上水の土堤には、 延享年間(1744〜1748)にかけて桜の木が植えられ、その桜並木は江戸の花見の場所として有名であった。 桜の木の下を多くの老若男女が花を見ながら歩いている。中には揃いの着物を着て、 揃いの傘をさしている一行が見える。
  当時は書道・踊・浄瑠璃などの手習いの師匠が、 お揃いと称して弟子たちに揃いの日傘と手拭を持たせて花見をする風習があり、どこの桜の 名所もこの様な一行で賑わっていた。 内藤新宿は妓楼が多いことで評判で、この絵でも妓楼と思われる家の2階の窓から、女とその 客達が玉川堤に咲いた桜の花を見物しているのが描かれている。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による