第40景 「せき口上水端はせを庵椿やま」
(安政四年(1857)四月 春の部)
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  ⊂型に岸が飛び出したあたりの手前が、現在の駒塚橋の位置になる。この絵は、当時の 駒塚橋附近から上流の眺めを描いたもので、川のカーブの様子は変わらない。
  椿山荘周辺は古来より、椿の自生する景勝地として知られ、南北朝時代の頃から「つば きやま」と呼ばれていた。
  絵の右中央に見える草庵が「芭蕉庵(竜隠庵)芭蕉堂」である。門のすぐ脇に描かれてい る松は「夜寒(ヨサム)の松」で昭和30年(1955)に枯死するまで、優美な曲線を誇っていたと いう。現在は「夜寒の碑」が建っていて「二夜鳴一夜はさむしきりぎりすjという紀逸の 句が刻まれている。絵は実景に比較的忠実であったようだ。
  上水の先は目の届く限り「早稲田田圃」が広がり、その向こうの森林は「早稲田の杜」 周辺ということになる。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による