第21景 「芝愛宕山」
(安政四年(1857)八月 春の部)
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  広重は天下に名高い佳景を、表現しやすい横長の構図ではなく、 江戸百景の特徴である縦長の画面にどのように納めるかについて、 いろいろと頭を使った事であろう。結論は愛宕山の正月行事の主役を 主題として配することになった。
  江戸名所図会には別当寺の円福寺で毎年行われる、正月三日に寺主を 始め、末寺の僧侶まで集合して強飯を食べる儀式が描写されている。   儀式の最中に女坂の上の愛宕屋という茶店の主人が「毘沙門の使」に扮し、 麻の着物に長い太刀を差した上に摺り子木を差し添え、大きなしゃもじを 杖に突いて現れる。
  頭にはざるを逆さまに、串を立てて御幣とし、正面を橙(ダイダイ)で飾り、 前立には裏白をはさみ、左右のシコロは昆布を垂らすという正月の飾り物で まとめた兜を被っている。お供のものと共に、三人で本殿から男坂を下り、 円福寺のこの席に入って大しゃもじで俎板を三度突き鳴らし、 「まかり出たるものは毘沙門天のお使い、寺中の面々長屋の所化も勝手の 諸役人に至るまで新参は九杯古参は七杯お飲みやれお飲みやれ、お飲みやらんによっては この杓子でお招き申す」というと、僧の長老が吉礼の日に飲もうと答え、毘沙門の使いは それも一理あるといって本殿に帰って行く。

  広重の画は毘沙門の使いが帰り道に男坂を上がり、門をくぐろうとしているところである。 この時代は男坂の頂上に仁王門があった。門の金剛力士は運慶作、二階の軒に架かる 「愛宕山」の文字は智積院権大僧正の筆と伝えられる。門には掲額が数多くあることは、 広重の「東都司馬八景愛岩山暮雪」に描かれている。江戸市民には赤い門柱と掲額で その場所が愛岩山であることが刷り込まれていたという。
  遠景には江戸の町から品川の海、房州に連なる山までが広がっている。とりわげ、築地 本願寺の大屋根と船の白帆が印象的であり、凧が正月気分を表している。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による