第13景 「下谷広小路」
(安政三年(1856)九月 春の部)
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  元禄時代(1688〜1704)以降、下谷広小路の両側に町屋が整い、店舗が立ち並ぶようになった。 右手の建物は、「松坂屋」である。広重はこのシリーズで上野松坂屋、大伝馬町の大丸屋、 駿河町の越後屋、日本橋白木屋の呉服屋四店を描いている。
  原信田実氏(翻訳家・国際浮世絵学会会員・故人)は、9月の改印があることから、安政2年(1855) 10月の大地震で焼失した松坂屋の営業再開を広重が世間に伝えたかったのでは、と推理した。 「松坂屋50年史」によれば、12月には早くも仮店舗による営業を開始、安政3年(1856)9月には 異例の早さで新築開店にこぎつけた。松坂屋では引札を55,000枚江戸市中に配り、9月28日〜30日の 新装開店では大売出しを行い、3,150両の売上げを記録した、とある。
  隣の白壁の蔵の前に道路へ突き出す恰好で赤丸の図案で飾った障子戸を立てた小屋が髪結床である。 独自の図案の障子を立てて奴床、碇床、海老床などと唱えていた。
  松坂屋の前を大きな荷物をかついだ男衆を従え、お揃いの傘を差している一行は、当時、琴・三味線・ 浄瑠璃・常盤津などの師匠に引率されて、上野の山へ桜見物に向かう女性たちである。清元の稽古連ともいわれている。
  向うに見えるのが上野の森。上野の山の手前に、山下の石垣や山内の入口に当たる三橋が見える。 店の手前を東西に左右に走る通りを左に行くと、男坂を上がり湯島天神である。現在、この道が松坂屋本店と 新館の間を抜けている。店の前には松坂屋の商号を染めた風呂敷包みを背負った手代2人が歩いている。
  ヘンリー・スミス氏は岩波本「広重名所江戸百景」の中で、「何らかの危機感を匂わせるものといえば、 江戸湾防備のためにつくられた御台場と(下谷広小路の)異国風のズボンをはいた武士だけである」と書いている。 陣笠に筒袖の打割(ブッサキ)羽織、昔のままの二本差しの侍が描かれているが、長崎の海軍伝習所から江戸に 入ってきた最新の流行である和洋折衷のいでたちを広重は絵に取り入れたことがわかる。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による