第12景 「上野山した」
(安政五年(1858)十月 春の部)
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  上野山の東側の麓一帯を「山下」といった。水茶屋料理屋が連なり、床見世、見世物小屋が 出て両国広小路、浅草奥山に並ぶ盛り場だった。
  石垣は黒門の両側から逆ハの字に袴腰といわれた土手である。後ろの番小屋と「しそめし」 と大書した料理屋伊勢屋の間の道が山下への入り口で、五条天神の鳥居が見える。伊勢屋は のちの「雁鍋」という料理屋。明治元年(1868)彰義隊討伐の上野戦争では新政府軍がこの 2階から山王台の彰義隊の砲手を至近距離(約20間)から狙撃して優勢に転じた。
  手前、三橋を渡り黒門に向かう揃いの傘の一行は、武家奥女中の寛永寺代参と思われる。
  安政5年(1858)10月の改印があり、広重の没(9月6目)後の翌月に出版された3枚のうちの 1枚である。実際には二代広重の筆になるものと考える研究者も多い。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による