第8景 「する賀てふ」
(安政三年(1856)九月 春の部)
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  駿河町という名は富士山を正面から跳められるため名付けられた。もともと日本橋から 筋違御門を結ぶ直線道路と直交する各通りは富士山が見える方向に設計されたが、ことに 駿河町からは真正面だった。富士山、江戸城、越後屋の3点セットは江戸繁栄のシンボル として多くの画題に取り上げられた。
  両側とも越後屋。右側は「呉服物品々」で絹製品を、左側は「組物糸類品々」で綿・麻製品を あつかった。町行く人にはつづらを紺の風呂敷で背負った手代や丁稚が目立つ。
  現在、駿河町の道路はそのままで、右側は三井本館、左側が三越。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による