第3景 「山下町日比谷外さくら田」
(安政四年(1858.1)十二月 春の部)
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  泰明小学校正門左手にあるガード付近から日比谷方向をながめた絵である。絵の左手に 山下御門があるはずだが、描かれていないので、広重は山下御門(=ガード下)をほんの 少し右側に寄った場所に立って描いていたことになる。
  絵の正面にあるのが佐賀鍋島藩35万石のお屋敷であり、現在は日比谷公園の北東部分に あたる。赤い正門がこちらを向き、白いなまこ壁が映える。江戸切絵図では、家紋が描か れているのが上屋敷で、家紋の位置にその正門があるのが決まり。この絵に描かれた鍋島 藩上屋敷の正門も、切絵図どおりの位置にある。今は花屋の日比谷花壇がある日比谷公園 の日比谷門と同じ場所であろう。右に日生劇場、左に帝国ホテルにはさまれた道からの眺め と一致するはずである。
  右手の石垣は、笠間藩(茨城県笠間市)牧野家8万石の上屋敷。
  その石垣の奥のお堀が右にまがった突き当たりが、日比谷公園の「心字池」にあたり、 お堀の跡を今に残す。
  「山下町」は下町で、絵では手前の灰色の地べた部分。「日比谷」「外桜田」は山の手で、 絵ではお堀から向こう全部である。したがって、絵の手前の奴凧や羽根つきは町人、奥の 凧は武家のもの、となるはず。おそらく町人と武家とを対置した絵であろう。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による