第2景 「霞かせき」
(安政四年(1857)一月 春の部)
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  めでたい新年の光景である。門松、凧場げ、通行人。水平線の赤のぼかしも効果的。   今と同じ「霞が関坂」の坂上から、東の海側を望む絵である。現在はビルが林立し、海 は見えない。
  遠く町屋の中にとび出る屋根は、築地本願寺。百景のあちこちに同様の屋根が描かれて おり、よほど目立つ大きな建物だったのであろう。「地図上この坂を延長すれば本願寺にぶ っかります。広重の写生はなかなか正確です」(暮しの手帖本)という。
  スミスによれば「霞が関坂は実際よりも急な坂に描かれている。浮世絵師らは、坂下に 広がるパノラマを強調するために坂の勾配をよく誇張して描いた」と説く。
  最上段の凧に「魚」とあるのは、版元「魚栄」のこと。広重は、百景のうち4景に「魚」 の文字をしのばせた。
 右側のなまこ壁は、福岡藩黒田家52万石の上屋敷。現在は外務省の場所である。「通り に面した2階建ての長屋は、家臣の住まいにあてられている」(スミス)という。大きな門 松が半分見える。
 左側は辻番所(番小屋)で、低い門松で飾られている。その奥にあるはずなのが、広島 藩浅野家42万石の上屋敷。現在は、国土交通省・総務省に化す。
 初春にちなむ人物ばかりが描かれている。逆にいえば、「絵に出てくる人物は普段はあま り用のない連中が多い」(宮尾しげを)。主として暮しの手帖本から引用して以下に記す。
 右から、@払扇箱(ハライオウギバコ)買い(年始客の持参した年賀の「扇=末広」が溜まったの を引取る商売)、A羽子板を抱えた娘と母親、B大紋素襖(ダイモンスオウ)に威儀を正し供を従え た武士(「おそらく江戸城へ年始の挨拶にいった帰りであろう」とスミス)、C万燈(マントウ)、 挟箱(ハサミバコ)をかついだ太神楽(ダイカグラ)一行(万燈には「天照大神の名が書かれているは ず」とスミス)、D裃(カミシモ)姿の万歳(マンザイ)の才蔵(サイゾウ)と太夫、Eこはだの寿司売り。
 正月の何日の絵なのかには、2説ある。「町屋の年始は2日から始まったので、この絵は 2日の情景であろう」が東海銀行国際財団本。「大正の解説は、末広の払箱買いが出ている ところを見れば、この絵は正月7日を過ぎているといいます」が暮しの手帖本である。
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「東京シティガイド江戸百景グループ」による